境内には、社殿・神馬舎・手水舎・社務所と境内社があります。
現在の社殿は平成19年に再建したものです。
御祭神 少彦名神(すくなひこなのかみ)
少彦名神は大国主神と協力して日本の国作りに功績のあった神として崇められます。その体は非常に小さく、『日本書紀』には、淡島で粟茎に上っている時に弾かれて常世の国に渡られたと記されています。 俗説に淡島殿は住吉明神の妃で、婦人病に霊験があるといわれています。
御由緒 府中藩主松平家の御婦人秋仙様は金刀比羅大神とともに淡島大神も厚く信仰なされ、熱心にお祭りされたと伝えられます。
御利益 裁縫技芸、安産、良縁など女性の守護神
例祭日 2月8日(針供養)
御祭神 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)ウカは食物の意。
例祭日 2月初午日
鎮座地 石岡市貝地二丁目6番13号 (金刀比羅神社の南東700m)
当鎮座地は古くからの金刀比羅神社の所有地であり、金刀比羅神社と関係の深い神社です。
御祭神 迦具土神(かぐつちのかみ)
平景清命(たいらのかげきよのみこと)
迦具土神は火の神。平景清命は平家の武将。
御由緒
平景清命は「上総の悪七兵衛」の名で恐れられた平家の勇壮な武将です。「悪」は武勇に優れた者であることを意味しています。
当鎮座地は「景清塚」といい、江戸時代の書物『府中雑記』にも「世ニ上総悪七兵衛景清ト云フ」と記されて、景清命の霊地と伝えられている所です。
『延慶本平家物語』には、景清は壇ノ浦合戦に敗走後、源頼朝のもとに投降し、当時、常陸国府を支配していた守護八田知家の身柄預りとなりました。 その後、法師になって常陸国にいたところ、伝え聞いた東大寺大仏供養の日を期して、その七日以前より断食の行に入り絶食死したと記されています。
御利益 火難除、盗難除、眼病治癒など
例祭日 1月24日
巻十二(第六末) 「上総の悪七兵衛景清干死の事」
上総の悪七兵衛景清は降人に参りたりけるを、和田左衛門尉義盛に預けらる。昔平家の時に振舞ひし様に、ややもすれば義盛をおもひ侮づりて、盃も前に取り、縁より馬に降り乗りなむどしければ、義盛もてあつかひて、「景清が義盛をばあまりに侮づり候ふに、他人に預けたび候へ」と申たりければ、八田四郎知家に預けられにけり。後には法師になりて常陸国に有けるが、東大寺の供養三月十三日と聞こゆ。さきだちて七日以前より御食を断ちて、湯水をも喉へも入れず、供養の日、終に死にけり。