こんぴら信仰とは、大物主神は宮毘羅(くびら)大将と同一神であり、金毘羅神として日本の国土に出現したという考えに基づく信仰です。
宮毘羅大将は仏教の守護神であり、特に薬師如来の守り神として仏教伝来とともに日本に流入しました。
中世の神仏習合の時代は、日本の神と仏教の神が融合同化した時代です。金毘羅神は仏教寺院建立の際には地主神として、あるいは鎮護神として崇められ、祭られました。
江戸時代になると、金毘羅神は現世で最も霊験あらたかな神様として広く民衆に信仰が行き渡りました。
当神社は平氏ゆかりの神社としての長い歴史を有しています。
そして、「石岡」という地名は明治維新の時から変わったもので、それ以前の江戸時代は「平村」であり、あるいは「府中平村」でした。
そこには平氏ゆかりの町としての意識があり、郷土の祖先である平氏への鎮魂の信仰がありました。
国府・府中の音便はともにコフ(コウ)です。「コフヒラ」「コフタヒラ」(府中平・国府平)は「こんぴら」に通じます。
石岡の「こんぴら信仰」は平氏の信仰と密接な関わりがあったのです。
江戸時代、府中平村は府中藩主松平家の領地となりました。それと同時に、当神社は平村の鎮守として松平家より厚い信仰を寄せられるようになりました。
一方で、府中藩松平家は水戸徳川家の分家であり、同じく水戸の分家である讃岐高松藩松平家とは兄弟藩という関係にありました。
讃岐の金毘羅大権現(金刀比羅宮)より御分霊をお迎えするにあたっては、特別の御配慮があったと伝えられています。
神話の世界では、大国主神(おおくにぬしのかみ)は少彦名神(すくなひこなのかみ)と共に国作りに励まれました。少彦名神は国作りを成し遂げると、常世国(とこよのくに)に渡ってしまいました。
『日本書紀』に記載されているところでは、大己貴神(おおあなむちのかみ=大国主神の別名)が「今この国を治めるのは私一人である。私と共に天下を治める者はいるのだろうか」と思いあぐねている時に、海上から御神光を放ちつつ現れた神様がいました。
これが大物主神の出現の様子です。
大物主神は幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)として現れたと記されています。
幸魂奇魂とは、人々に限りない幸福を授け、万事を叡知識別する奇妙不可思議な働きをする霊力をいいます。
幸魂奇魂と崇められ、万物の主宰神にあらせられる大物主神の広大無辺なる御利益の一端を要約すれば下記のようになります。
開運幸福の神 叡知開発の神 生命養育の神 海外渡航安全の神
交通守護の神 産業育成の神 病気平癒・医薬の神